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いかせんべいの由来

宮古湾海戦といかせんべいの由来

 

明治二年三月二十五日

宮古湾海戦

宮古湾海戦

歴史的にも有名なあの宮古湾海戦が、三陸の良湾宮古湾内で行われました。

官軍の軍艦甲鉄以下八隻は、函館にたてこもる榎本武陽の率いる幕軍を討とうとして江戸品川港を海兵隊を満載して出港、 途中将兵の休養、薪炭糧秣の補給のため宮古に寄港したのです。

当時より宮古は天下にその景勝を誇る浄土ヶ浜を有し、その名は遠く江戸、京都まで知られていました。
官軍の将兵大挙上陸により宮古は時ならぬ賑わいぶりをみせていました。

 

菅田家初代吉太郎は製菓業を営んでいましたが、此のチャンスに何か海産物を利用した珍菓を売出せないものかと、思案の結果特産の乾するめを製菓加工する事に着眼し、乾するめの煮出し汁で小麦粉、砂糖を固く練り上げ、適度の大きさ、厚さに押し、渡し金にてカキモチ様に焼上げ売出したところ、官軍将兵の好評を博したのです。

昭和初期頃のパッケージ

昭和初期頃のパッケージ

宮古湾海戦は幕軍の敗走によりその終末をつげましたが、 吉太郎はカキモチ様のいかせんべいを型焼煎餅に改良したなら、もっとするめの味覚と風味を生かすものになるに違いないと思い、その製法を二代目吉郎に伝承し、三代目正一において改良が重ねられ、現在のいかせんべいと成されたのです。
実に三代半世紀にわたり試行錯誤の末にできたのが、陸中銘菓「いかせんべい」なのです。

 

先代より受継いだ技術と現今の最高設備と衛生的な工場で良心的に製造し、国立公園浄土ヶ浜御覧遊の皆様に御愛願戴いております。
すがたの 元祖いかせんべいを今後とも末永く御引立てのほどお願い致します。

 

四代目 菅田正義